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2008年09月04日

制作者の手の平で

ビデオゲーム(テレビゲーム)の先進性は、それが「鑑賞者自らが演じることのできる、唯一の映像作品を作ることができる」という性質に集約される。

ビデオゲームは、あらかじめプログラミングされ、あらかじめ設定された範囲内に止まるとはいえ、プレイヤーがフレーム(画面)内での動きと、一般的には絵画作品などの静止した芸術作品が持っていない、鑑賞者(=プレイヤー)の時間帯圏の流れを、自由に造り出すことのできるものである。

上演の度に、あるいは音楽の生演奏の度に、ひとつとして同じ作品が再現されるということはありえない。たとえそれが同じシナリオであっても、同じ楽譜であったとしても、録画された映像や録音された音源のように、繰り返し同じものが再生されるということがないのである。

だから、ビデオやDVDなどのパッケージと、ビデオゲームのパッケージには、その内容物が秘めている「映像の可能性」というものに、大きな差があるといえるのである。我々がゲームのパッケージを手に取り、そして開封してゲーム機(ハード)の中にそのソフトを入れた瞬間から、そこにパッケージされた「ゲーム」というカテゴリーの映像作品は、制作者/企画者の意図を、プレイヤーという参加者の感覚器官や思考を媒介として、あらゆる方向へ押し広げていくのである。

映画館で鑑賞する映像は、制作者が編集し構成した時間の流れの通りに再現された。そしてビデオデッキが普及し、あらかじめ構成された映像は、早送り/巻き戻しなどの機能付加により、映像の再現に関して、一定の変化の可能性を与えられた。ビデオゲームの登場で、映像の可能性は更に飛躍的に広がったといえる。

ハードの性能とインターフェイス。映像の可能性は、それらの向上と工夫によって、更に広がり続けるだろう。


武蔵野美術大学 映像系課題「映像の可能性」


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posted by NaruseT at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 美大の小論文参考作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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